「いらっしゃいませ」
私は40年以上料理に携わってきました。
尊敬すべき師匠とたくさんのお客様に
「御縁」をいただき、多くのことを学びました。
そして、自分が食べてこれは「美味しい」と思うものだけを
あなただけに召し上がっていただきたい。
自分の作品を通して少しでも「幸せ」を共有出来たらとの信念で
毎日「料理」しております。
柚子香 木村 敬宣
京都と大阪の中間に位置する高槻市の工房で、受注から製造、発送まで1人で行い、
「本当に美味しいものってなんだろう?」
いつも自分に問い続けます。
美味しいだけでなく
身体に優しく体調を整えるもの。
召し上がっていただいたお客様を
ほっこり幸せにして
「また食べたい!」
「あの人にも食べさせてあげたい」
と思っていただけるものを
作り続けています。
「柚子香」のそば出汁は40年前の両親がやっていた蕎麦屋の
レシピです。
新興住宅地の中で四人掛けのテーブルが3つだけの小さな
お店でした。
周囲の反対を押し切りながらも商売を繁盛させた母。
小学生の私は学校から帰るとよく手伝いをしました。
高校2年の時、母親が私を呼び出し「もし、私たちに万が一の
ことがあれば出汁の作り方をこの机の裏に貼っておくから」
と神妙な面持ちで言われました。
今思うと、この味があれば将来、何かする時にきっと
役立つことがあるという「親の愛情」だったと思います。
高校卒業後、私は京都ホテルの日本料理の育成塾に入塾。
親方は当時の料理界で「西日本の横綱」と言われた人で日本調理師協会の副会長でした。修行はとても厳しく、朝早くから夜遅くまで、休みは2〜3か月に1回程度。
厳しい修行を5年間続けのち家業に携わりましたが、料理の技術を活かすべく京料理の仕出し屋に転業し20年間続けました。
その後、家族の健康問題などで廃業。
その後、最初の修業時代の先輩が料理長をしている京都のホテルに呼んでいただきます。
その時、料理長の作った「鯖寿司」の旨さに強烈に感動しました。
鯖寿司と共に柚子果汁を寿司飯にまぜていましたがその風味が素晴らしく、まさに至高の一品でした。
料理長は徳島県でも四国のチベットと呼ばれるほど秘境の木頭村の出身ですが、そこは柚子の一大産地(木頭柚子)です。
90歳を越えた料理長のお父様が手作業で絞った貴重な柚子果汁を毎年お裾分けしてもらうのが何よりの楽しみでした。
料理長と「日本一の鯖寿司を作ろう」「いつかこの鯖寿司で商売をしよう」と熱く語り合い、全国の鯖寿司を食べ比べ、研究を重ねました。
究極の食材を求めて、試食を繰り返し「黄金の鯖寿司」が10年の歳月をかけて完成しました。
両親の店では手打ちではなくて機械打ちの蕎麦を出していました。
私の中で、いつか手打ち蕎麦を打ちたいという想いは徐々に高まっていきました。
すでに50歳を過ぎていましたが、京都の有名ホテルにある、老舗の蕎麦屋に就職。
そこから蕎麦打ちの修業がはじまりました。
そば粉を120kg以上使って毎日手打ちの練習をした頃、国の現代の名工を受賞した社長の試験に3回目で合格しました。
社長の試験に合格してはじめてお客様に手打ちの蕎麦を提供することが許されます。
5年間この老舗蕎麦屋で勉強した後、独立。
私が打った蕎麦はいつしか「白銀の手打ちそば」と呼ばれていました。
両親の残してくれたレシピと、料理を通じて仲間たちと築いた本当の美味しさで柚子香は生まれました。
最高の素材を最高の調理技術で一品一品心をこめて作りあげていきます。
小さいお店ですが、本当に美味しくて健康に良いものを。
そして、召し上がっていただいた人をほんの少しでも「しあわせ」を感じて頂けるお店を目指して今日も研鑽が続きます。
「京鴨」は日本のトップブランドと言っても過言ではありません。 英国チェンバレー社から種用初生ヒナが輸入されており、飼育環境や飼育期間等こだわりの生産体制で育てられており...
今、思い返しても笑ってしまうのは私が高校 2 年生の時、私を呼んで事務机の裏側を指さして「ここに出汁の取り方のレシピを貼ってあるので、私らに何かあったらこれ見て作りや!」と...
私は一生懸命打ち上げたお蕎麦を普通に召し上がっていただきたい。町場に普通にあった、居心地がよくて楽しくて一人でも家族でもゆっくりできる。 そんなお蕎麦屋さんで食べるよう...
Copyright© 柚子香-手打ち蕎麦の通販 , 2024 All Rights Reserved.